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正月に初詣に行くのはなぜ?鉄道と家康の意外な戦略

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目次

 

おはようございます。

 

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

さて、皆様は初詣に行かれましたか?

近くの神社に行きましたか。

それとも、明治神宮伊勢神宮などまで遠出しましたか。

 

今回は、そんな正月の風物詩「初詣」のお話をしようと思います。

 

新年のお参りの風習を変革した家康

 

今でこそ、電車に乗って遠方の神社や寺社に

初詣に出かける人は多いと思います。

 

この風習、意外にも歴史は浅く、

明治時代から始まったムーブメントなのです。

 

では、それ以前はどうだったのでしょうか?

 

一般的には、近所の神社に大晦日から

元旦にかけて行く「年ごもり」、

神社が各々で定めた「初縁日」にお参りしていました。

 

江戸時代になり、天下を手中に収めた徳川家康

「谷中七福神めぐり」を庶民の間に広めます。

 

実はこれ、庶民による一揆を怖れた家康の

民衆コントロールの一環でした。

 

家康のもくろみは大当たり、

拡大解釈した庶民は遠方でも好きな場所に

お参りに行くようになり、明治時代には

「初詣」の原型ができあがりました。

 

 

 

庶民から沸きあがった「川崎大師参り」ブーム

 

明治5年(1872年)、新橋―横浜を結ぶ

鉄道が開業しました。

いくつかの停車場のなかでも注目を浴びたのが川崎停車場です。

 

なぜでしょうか?

 

3km先の川崎大師へお参りするのが

当時の庶民のトレンド最先端だったからです。

 

この「川崎大師参り」に人びとが集まることに着目した人物がいました。

 

京急電鉄創業者の立川勇次郎です。

 

 

 

京急電鉄創業者・立川勇次郎のマーケティング戦略

 

明治32年(1899年)1月21日に現在の

京急大師線にあたる大師電気鉄道の川崎駅~大師駅間が開業します。

 

これが現在の京浜急行電鉄としての最初の路線です。

 

その後、既存の官設鉄道との運賃やスピードの

競争により、「初詣」が特別な行事へと変化します。

 

明治38年(1905年)に日露戦争が起き、

戦争資金調達のために官設鉄道が運賃を値上げしたのに

対し、京浜電鉄は値下げを断行、「値段の安い鉄道」と

してのイメージ戦略に成功しました。

 

しかし、官鉄も速いスピードと低運賃で対抗。

これには勇次郎も万策尽きたかに見えました。

 

ところが「三が日は川崎大師にお参り」という

民衆の意識に付加価値をつけるための広告戦略で勝負に出たのです。

 



 

正月三が日が「ハレの日」になる

 

当時、多くの人びとにとって、

「ハレの日には汽車に乗ること」が慣例となっていました。

 

勇次郎の京浜鉄道は、川崎大師と穴守稲荷に

直接アクセスしていたこともあり、

この2つの場所をセットにした「回遊ルート」で

大胆なマーケティングに踏み切ります。

 

元日に川崎大師に参詣する黄金ルート戦略が

大成功を収め、現在の「初詣」の起源となったのです。

 

いかがでしたでしょうか。

 

何事にも始まりはあり、そこには誰かの意図があるかも

しれません。

 

歴史を辿ってみると、意外なことがわかるかもしれませんね。